August 24, 2005

プレゼント

今日はいろいろとうれしいことがあったのでここに記しておこうと思います。まず新車を買ってから久しぶりにTOYOTAのディーラーシップの人にあったの だけど、彼は37才で彼女募集中。それで、私にいつもこういうのが口癖「アジア人の女性のほうがアメリカ人の女性より絶対いい!、誰か紹介して。」、どう こういいかというと、尊敬する心があるとか、思いやりがあるとか、男性に対して尽くしてくれるところ、らしい。アジア人からみたら一見わからないけど、こ こアメリカに来てから、何度と男の人からそういうことを聞く。実際私の夫もだ。(もちろんだけど)とかくアメリカにいてわかるのは、アメリカ人の女性は (とくに態度は)確かにアジア人と違うことは確かである。彼と話しているととても面白い。とくに彼が日本人に興味をもっているだけに話しやすいし(日本語 も話せるらしい)さすがセールスマンだけに話しやすい。アメリカでそういう人に出会えるのは貴重だ、(なにせ私の日本語英語もさっと聞き取ってくれるし) もちろんアメリカ人は気さくな人が多いのでそういう機会は結構あるのだけど、とかくこの瞬間はアメリカに来てよかった、と思えた。うれしい。ところで日本 語習うためにメール友達を作ったらしいがメールなので日本語の発音が習えないんだとか・・できれば私がホントに日本語を教えてあげたいが、ところでどなた か同じ年くらいの人で興味ある人はいませんか?(いたらぜひメールを送ってきてね)もうひとつ、うれしかったのがルックが(夫)が1週間以上も前だという のに誕生日プレゼントを買ってきたことだ、それがびっくりするようなものを見つけてきた!ipodにある曲が普通のラジオで聞けるという優れもの!これで いちいちオーディオCDを作らなくていいのだ、すごい。そんなものを知らない間に見つけた彼に大感謝!プレゼントってやっぱサプラーイズ!!が一番うれし いよね!それから最後の“うれしい”は、ただいま作り中のweddingのウェルカムボードが想像よりうまくできたこと!何よりも誰も作ったことのないよ うな未知のものを作ってたので、こんなにうまくできたことがまたまた“うれしい!”ということで私のうれしい!がつまった日でした。

August 22, 2005

最近、友達と姉の結婚式のお手伝いしてま す、友達は香港で結婚式をするのだけど、何を手伝っていたかっていうと、日本で言う引き出物っていうやつ、でも彼女の場合、そんなに堅苦しくはない手渡しできるくらいの安くて小さなものを探している。私が今までにもらったギフトとしては、紅茶の入ったかわいい缶だったかな。クッキーとかキャンドルとか花の種とか、いろんなアイディアが出てきたのだけど、どれも一般的すぎてもらって彼女にとってはさほど思い出にならないんだとか・・やっぱり二人の 名前がきちんと入っている心に残るものがいいらしい。そうそうチューリップの球根っていうアイディアもあった、なるほど、花が咲いたらうれしいし、心にも残る。それで彼女が思いついたのがあんまり場所をとらない小さな"栽培キット"、机の上において水をあげるだけで芽が出てくるっていうあれ。どうやらあれ日本でも引き出物として出回っているらしく、姉が最近もらってきた豆の木栽培セットは、今では庭の花壇から2階のバルコニーまで伸びているらしい、う~んさすが豆の木だね。なんだかけっこう後が大変そうな植物はなるべくひかえるべきかもしれない・・。姉の結婚式ではウェルカムボード作ってあげて ます。聞くところによると最近は自分たちでできるかぎりつくる個性的な結婚式がふえてるんだとか・・(お金の節約っていうのもあるけど)それはそれでいいとして、人と違ったアイディアをだすって大変なことだと最近つくづく思う。いろんな写真をみながら、いつか私もこんな素敵な花を飾ってこんなところで・・と思う、けど夢でおわるかもしれな い・・ああ、はかなき、憧れの結婚式。

August 15, 2005

川泳ぎ

昨日、日曜日、子供たちをつれて、もち大人もいれて、ひさびさに川で泳ぐことになった。ここワシントンはとにかく夏でも水が超冷たい!水だって緑できれい とはいえないんだけど、田舎なので案外透き通っていた。以外にたくさんの人がいたのでびっくりである。有名なスポットなのかも。なにしろ自然で、タダなのがいい! 普通のプールよりもウォーターパークよりもエキサイティングだと私は思う。まず入ったらきっとなれるだろうと思って泳ぎ始めて5分もしないうちに寒々してきた。きっと後々背中は水につからなくなったから、がしかし今は8月半ば、外はお日さまがてんてんとしてすごく暑いのだ。暖かいと思って水か らでてつかの間、浅瀬で魚捕りに必死になってると私の背中は丸こげ。ジュワ~ってかんじ。おかげで数年ぶりに真っ黒になってしまった・・(ありがたいこと に私、アジア人の皮膚は赤くも痛くもならないのだった)でも経験としてはとってもいいものだと思う。いつからか海は汚いし、コケで足がぬるぬるするので海 とか川で泳ぐのなんてすごくやだったんだけど、勇気出して泳いでみるとどうでもよくなる。水の中に魚がいてけっこう面白い。フロリダの湧き水で泳いだのも 最近のこと。あれ以来、こういう自然の経験って一生ものだなぁって感動したのだ。その日も嵐の直前ですごく寒かったけどぜんぜん後悔してない。すごく楽しかった。またいつか真っ青な海の中を泳いでみたい。

August 8, 2005

Bahnmiller家族

昨日、夫の姓であるBahnmiller家のreunionがあった。夫の曾爺がドイツからアメリカに移り住んでから農家としてワシントンの田舎にすみ始 めてからもう1世紀ほどになるのか。農家同士移り住んだMadcheというもうひとつの農家もBahnmiller家の隣人であり家族である。なぜなら Bahnmiller家の息子が5人ならMadche家の娘も5人、息子は隣人の娘と結婚する、させるのがあたりまえだったからである。そんなわけで昨日 のReunionはものすごい人数だった。4,5年ぶりのReunionだったらしい。、夫いわく、「ほとんどだれだかまったくわからない」らしい。夫の 祖父からの親戚は自分に一番近いわけだからだいたい頭にいれることができたけど、祖父の弟の孫、(私の夫の世代)を夫は従兄弟とよぶらしい。私はお祖母 ちゃん、お爺ちゃんの兄弟に会ったことがないので、イメージわかずびっくりした。ところで家系図ってかけますか?日本の自分の家族でさえ書いたことがない のに、こんなに大家族の家系図は今ではだれも書けないらしい。家の外には曾爺の時代からの写真が万遍にはられていて、どの写真も白黒で古ぼけてる、昔の農 作機械とかのってたりすごく歴史を感じた。自分がこの一員になったのがすこし違和感あるけど、あえて言えばアメリカでは貴重な姓なのだから受け継ぐことに なったのは幸運だったかもしれない。家族がどこから来たのかを知ってみるのっておもしろそう。日本で調べられる手段はまずおばあちゃんに聞くしかないけ ど、まず江戸時代ならわかるかな、どんな階級の出だったんだろう??商人かな?

August 5, 2005

夢の儚さ

最 近、仕事を探してる、働きたいと思う場所のアプリケーションもらってきては 毎回、書く経歴、学暦、いつの間にか、何がしたいのかを見失ってる。なんだか 今まで家にいすぎた。学校にいって専門的に学んでも自分ができるのかほんとにそれに就くことができる職場なんてあるのかって思えてくるの。でもなんだかそ んなの夫に悪い、家から近くなった職場でとかく前よりは楽に働いてる、安い給料でもがんばってる、亡くなっていく老人に酸素を送っては、いつか、もっとい い給料で働く職場がほしいといっている。もっと実行力があればいいのに、私も、夫も。これが生きがいだと思える仕事に就くのがいつか私の夢で、それを探す のにも苦労してる。とりあえず簡単な仕事に就きたい、それでインターンシップでもなんでも経験しなきゃはじまらない。大変なのは承知、怖いのも承知、英語 の壁を乗り越えられないのも承知、それで雇ってくれる会社があるならラッキー、でも私をとりまく大きな言語の壁はついて回るもの、恐れていたら見られない ものばかり。夢ってはかない、自分から動かなきゃ何もつかめないといつも実感するのに。なんだか小さな不安を言い訳にして動いてない気がするの、せこいよ ね。誰かに評価されたくてここにいるのに、努力もしないでつかめないなんて絶対言っちゃいけない、それが大人になる法則なら、立ち向かうしか方法はない の。

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