July 20, 2006

ふくざつ

最近身の回りでは少し厄介なことが起きている。愛だとか人間関係についてはうまくはなせないけれど、アメリカ人並みに論議はできる自信はある。でも意見ってどうしても曲げられない信念とともになって現れる自己表現だから、他人の意見を鵜呑みにできるほど私は素直ではないと思う。旦那とも違う意見を持ってそれを解き放したら一致することがなく行き場所もなく、結局双方あきらめて終わるのが私たちの習慣、これは悲しいけど、唯一救いなのは価値観が似ていることだと思う。お互い頑固でいつか最悪の事態が待ち受けていたとしてもお互いを思いやり感謝し尊敬できるものが二人にあるなら、そしてそれを二人が信じるならきっとその事態は免れるだろうと自分は信じている。それは母親の受け売りとしても(笑)でもこの厄介な事件は私の考えるそれとは違うものだった。ひょんな気持ちのすれ違いから起こる事件、周りの反感や同情をかっていろんな方向に広がり始める。これはまさに私にはあたらしい。そしてなんてアメリカ的なんだろう。人が近すぎて見失う自分自身、常識が同じようですこし違う文化のはざまを私はみているよう。

4 コメント:

どう表現してどう相手に伝えるか…これは言葉と感情を持つ人類にとっては便利でもあり、厄介でもあり…。伝達することはもちろん、相手の意見を許容/受容することも大切だなぁと思います。
blogにしても「文字」だけで伝えることは難しいですが、非常に大きな力を持っていると思います。

文面からだけではありますが、頑張って!とエールを送らせてください。

ありがとう。でも実は私に起きていることではないので私も何もできないのですが。。周りの人たちがなるべく傷つかないでほしいと願う今日この頃です。

言葉って難しいですね、話さなければ分からないし、話さなければ傷つかないですむこともある。大事なのは思いやる気持ちですかね、やっぱり。

言葉の難しさは私もよく感じます。
同じ言葉を掛けたとしても、人の価値観の違いや、感情の具合など色々なことが重なり合って違うように受け止められてしまう事もありますものね。

でも、言葉は逆に傷ついた心を癒してくれたり、元気や勇気をくれる素敵なものでもあるので、もし周りの人が傷ついてしまった時はhotaruさんの言葉でその人の傷を癒してあげて下さい。

ジャパワイフさん、

そうですね、異文化の中では受け止め方も感じ方も人それぞれでむずかしいです、でも同じなのは言葉で人を喜ばし、癒してあげることができる。だから私はここにいられるんですよね。まだまだ自分もいろいろ経験しなければいけないことが多そうです。

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